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2011年7月15日 (金)

H23.07.15 東日本パス・郡山行き(その2)

 昼食が終わると後は通過するコンテナの列車を見ながら過ごします。少し退屈したのか散歩と称し、エスパル側の改札口を出てコンコースを突き抜ける格好で東口への自由通路へ赴きます。タンク車はホームから見た範囲のオイルターミナルのタンク車が一列に成した程度でこれしか見るべきものが無く程なく引き返し、食べ物屋さんも郡山ならではのお店があるかと思いきや、とんかつの『和幸』やうどんの『杵屋』、イタリアンの『サイゼリヤ』と東京近郊の駅ビルとあまり変わらないものの、お菓子のお店もそこそこ地場のものがあるだけで助かります。再び5・6番線へ。色々と列車のウオッチを楽しみながら最初は13時台に安積永盛まで行って15時少し過ぎの『なすの』で帰ろうと思いましたが、福島から来る普通電車が遅れている様で先に磐越東線へ行く事に。今度は自販機で白神山地の天然水のペットボトルを買い、東北地方らしいものを選びましたが、こちらも良く首都圏のエキナカの自販機で売られてまだ大型ディスプレイの次世代自販機はありません。一昨年来た時と同様にベンチや自販機が目立つものの、2店舗あった立ち食いそばが無くなったのが残念です。

 先に磐越東線へ行く事にして14時22分発の小野新町行き(734D、キハ111-107×2/仙コリ)で三春まで乗ります。出発の40分程前から車内に入れたので涼みながら過ごし、座席がほどほど埋まって出発進行。福島交通のバスの車庫が右手に見えると元々三菱ふそうご愛用の会社も手伝い先代のエアロスターが犇めき、10台に一台は今のタイプで平均15〜16年モノが多く、中扉の折戸は都営バス辺りの中古かな?と感じ取れます。右手にオイルターミナルの基地にJOTのヤードがガランドウとして寂しく、後者にはV18B、OLS(オイルターミナルの潤滑油基地運営会社)のU30Aの姿も発見。阿武隈川の鉄橋を超えると緑が一層濃くなり、お天気がよかったので気分上々なり。途中の舞木は紫陽花がお見事でした。

 三春で擦れ違う14時36分発の郡山行き(737D、キハ111-105×2/仙コリ)でUターンします。4人掛けのボックス席が空いていたので早速腰掛け、余り乗らないだろうと予想しました。各駅の駅名標には通称である『ゆうゆうあぶくまライン』と言うと関東の人にとっては午前中やっているTBSラジオの番組を連想させますが、この時間だと『キラキラあぶくまライン』が良いのでは?とふと思いました。この列車に乗ると郡山到着が14時48分、地震発生の3月11日は定刻での運転であれば逢瀬川の鉄橋を渡るか渡らないかとあと少しで終点という所で巻き込まれ、東北本線と合流する手前で立ち往生したのではと感じ取れます。

 同じホームの反対側、5番線に止まっている701系に飛び乗り15時20分発の黒磯行き(2142M、クモハ701-1511×2/仙センF2-511編成)で安積永盛へ向かいます。出発まで余裕があったので車内の中吊り広告で今の時期らしい絵柄をチョイスしながら撮影しました。

 郡山駅を出発して最初は飛ばそうと思った周辺の様子チェックも離れ難いのか後半で漸く機会を得て安積永盛へ。総合車両センターの構内も行きの新幹線で見たE653系(オーシャンブルーのK302編成)、583系(クハネ583-17×6/仙センN2+N1編成)、E501系、485系は青森の3000番代にGWまで東武の直通特急で活躍した小山の編成、京葉線の205系(モハ205・204-315、サハ205-193などと元はクハ205-116×10/千ケヨ9編成)と入場している様子を確認し、かつての全自動ヤードを再整備した郡山の貨物ターミナル構内を望むとコンテナはJOTの20フィートISOタンク、FLのU31A、関西化成品輸送のUT7C、19Dでは50周年記念のグリーンが2個と確率1/25と贅沢です。EH500は試運転を牽いた28号機とフィーダー列車を牽いた35号機、貨車では先程2076列車で到着したコキ106を初めコキ50000が多くコキ104も1両、1572番と検査の入場前後が多く、以前は郡山というと東北全域(新潟管内である山形県の庄内地区以外=東北東ソーの酒田港がそうです)の私有貨車が集って18きっぷの夏遠征で訪れる度楽しかったのですが、今はすっかり寂しくなった事を実感。大震災後、根岸のタキ1000でも一部郡山で交番検査を受けた票差しが見られる様になりましたが、今日はゼロ。他にもチキ6000も3〜4両居て東日本大震災ではレール輸送の基地である仙台埠頭が被災して半数が廃車(11月に出掛けた時に確認したチキ6284、6291の2両も)となり、不足分は越中島から出すのかコキ107が入って余剰のコキ50000をJR東日本が購入してチキにして越中島のチキ5200やチキ6000辺りを回すのでは?と気になる所です。ホキ800やヨ8000もいつもの様にセメントターミナルの基地の脇に鎮座。この左手には新しい機関庫が出来ました。

 安積永盛は久し振りの来訪でいつの間にか2・3番線には屋根が付いて駅名標もLED照明の薄型と福島県内の駅では未だ数例しか無いのか思わずデジカメに撮り、時間的にも学生の帰り時で駅近傍はちょっとした学園都市と言った様相を呈します。

 安積永盛から15時28分発の郡山行き(2141M、クモハE721-40×2/仙センP-40編成、新製H22-9川重)で郡山まで乗り、昨年の新製車とご対面となり、701系と共通運用に入っている事が分かります。壁に貼られた製造ステッカー(昔のプレートです)を見ると形がこれまでのものと同じでも地色が薄緑から国鉄時代の車両を思わせる紺地+銀文字に戻り、マークもボートやオートバイで見られるローマ字ロゴに。『川』の字を図案化したマークも新製時の検査標記でないと見られなくなったしまった様で郡山駅は2番線の到着。

 郡山駅に着くと2番線で乗ったE721系や名残の485系をデジカメに収めてそのまま新幹線の連絡改札へ。大きなNEW DAYSでいつも郡山へ来るとお決まりの様に買う薄皮饅頭とままどおるを現金で。大震災で被災した事もあってここは支援のつもりです。帰りはゆっくり『なすの』で帰るので東京行きは13番線ではなく11番線から。

 他の貨物列車の様子については次の通りです。さすがに牽引機もEH500オンリーで中央東線や上越線と何処か似通った空気が漂います。

・4083列車(名古屋タ→東青森):←EH500-9+コキ106×1+コキ50000×19…コンテナではJOT/JSR UT5A(アクリルエマルジョン専用)がお馴染みです。

・4087列車(名古屋タ→仙台タ):←EH500-64+コキ104・106×20…海上コンテナでは日陸20フィートタンクやトランスシティ20フィート、郡山タでE&S(発着線荷役)が行われ、仙台タへ送るものと思われるW19F-79(郡山車両所常備の輪軸輸送用)が積まれ、19系一派はマルーンがお決まりですが、区別する為でしょうかコンテナブルーに塗られています。

・3085列車(名古屋タ→札幌タ):←EH500-43+コキ104・106・107×20…JOTの20フィートタンクやUR20A-10000が積まれておりました。

・4089列車(大阪タ→仙台タ):←EH500-34[岩手復興ラッピング]+コキ104・106・107×20…郡山タでE&Sが行われた為でしょうか空車が目立ちました。コキ107は9・349・350(後2両の連番)が連結。

・3054列車(札幌タ→隅田川):←EH500-26+コキ104・106×20…前方から北海道乳業UT8A(煉乳専用)、JOT UR18A-10000、西濃運輸U54A(2両分)、日通U47A-38000、札幌通運の30フィートと様々なコンテナが積載。

・3087列車(名古屋タ→札幌タ):←EH500-3+コキ104×18+106×2…後2両はこの列車の常連である日本食品化工の20フィートタンクが積まれ、他にもFL U31A-475、日立物流のU48A-38000(エコライナー31に似たウイングルーフコンテナ)が積載。

・3083列車(梅田→札幌タ):←EH500-29+コキ50000×20…3月ダイヤ改正から日本海縦貫線経由から東海道〜東北線経由に変更した列車です。後3両は混載(対の3082〜5087列車では苫小牧発の紙輸送)の30Cが占めて隅田川発着の93/92列車(一部区間が震災の影響で東北本線経由に変わっております)と同様、かつてワキ5000形が運用されていた事で知られています。

・4088列車(仙台タ→大阪タ):←EH500-58[宮城復興ラッピング]+コキ104・106・107×20…これと言う目立つコンテナは見られませんでしたが、50周年塗色の19D-33655が積まれておりました。

 郡山から16時5分発の『なすの』576号(通常は276号)で大宮まで乗ります。時刻表では新青森発着の『はやて』同様、『こまち』のE3系が併結している筈なのですが、運用の都合でしょうかE2系(E223-1017×10/J67編成)の東京方の先頭に乗ります。出発の15分前に車内へ行くと一番乗りで最初、仙台方の2人掛けに男性の方が乗って来たなと思ったら何処かへ退散してしまい、結局一駅は貸切状態に。ホームの自販機で買ったWANDAモーニングショットを飲みながらネットブックを拡げ、それから同じくみちのくの空の下に居る会員仲間のM君へ携帯からメール(この頃は青森に居たと後で知りました)。新白河や那須塩原で乗りが多く、ビジネスマンの研修が多く特に新白河はJR東日本の研修センターがあるのか3人掛けの向きを変えて歓談する若い駅員さんor乗務員さん一行が楽しそうにお話されている様子も。一日中晴れていた空も福島県から栃木県へ変わる所で急に暗くなり、那須塩原から矢板方面は夕立ちが降り、宇都宮からドッと乗ってくるとマスターが座った列も隣のD席に置いたお菓子の袋を床に置いて少し若い時の檀 ふみさんタイプのボーダーシャツ姿の女性が座って来て文庫本を読みつつノートパソコンを弄くったりとこの時間帯は18きっぷや『ホリデーパス』を使って出掛ける時の遠征で帰る時と重なるのか西日が眩しく(宇都宮線の電車に乗って何度も実感したので覚えておりました)、ブラインドも1/3下ろしました。利根川を渡るとあと一息、伊奈辺りで上越新幹線と合流すると大宮も近くなり、デッキに出ると乗りが多いなと感じつつ、大宮駅の14番線に到着。

 大宮駅では少しエキュートに立ち寄りながら埼京線に乗り換え、17時34分発の新木場行き(1726K、クハ205-141×10/宮ハエ22編成)で武蔵浦和へ。

 武蔵浦和から17時52分発の府中本町行き(1600E、クハ205-5×8/千ケヨM20編成)で西国分寺まで乗ります。北朝霞で座れて新座タでは日産化学のタンクコンテナを積んだ北陸行きのコンテナ列車が一休み。今回は『むさしの』号で無いのが残念です。

 西国分寺で中央線に乗り換え、最初は10分程待って高尾行きに乗るつもりでしたが、ダイヤが遅れていたので定刻なら素知らぬ顔で走り出す18時17分発(遅れて21分発)の八王子行きで八王子まで乗ります。これに乗ると何処かで坂城からの2086列車に擦れ違うのですが、今日は空振り。同じ根岸のタンク車でもEH200に牽かれた姿は板に付いているのですが、交直版の間柄でもあるEH500に牽かれた姿を現地で見て楽しみたかったのですが………。

 八王子で降りると西上田のオイルターミナルがあった頃は5463列車が止まっている頃合いで楽しめたものの、3月のダイヤ改正で無くなったので寂しくなりましたが、改札口を出る前にJR東日本パスに同封したアンケートを窓口の駅員さんに渡して出場し、今度の3連休がラストなので南口への自由通路に貼られたポスターをデジカメに撮り、サザンスカイタワーのスターバックスでライム&ミントティーフラペチーノのショートを頂き、今日一日暑かったのでこの様な飲み物がどうしても欲しくなりますね。上のセリアでSDを入れるケース、1階のくまざわ書店で『サライ』の最新号を買い、バスターミナルから法政大行きのバスで西八王子の南口まで乗って今回の取材遠征は無事終わりました。

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